とある写真展 のオープニングに伺うために愛媛・久万高原町へ。
久万は松山から車で1時間ほど、高知県と接する高原の町。
かなり山深い土地なのに、ここへコンテンポラリーな作家を招いて一年間のプロジェクトを組み、展示をさせるというその意気に率直に驚く。見応えのある展示です。
オープニングの後は山を下って松山市内にある有名なバー「露口」へ。
51年前から使われているカウンターとその奥に立ち続けているマスター、8オンスグラスで飲む濃いめの角のハイボール。角なんて最も廉価な普通の酒なのに、なぜか美味しい。
四国だし、ついでにと香川の直島と金刀比羅宮へも行くことに。
金刀比羅宮は昔から芸術の庇護者でもあるようで、なかなかの作品を所有しています。最近、真筆とはっきりした若沖の障壁画もありますがこれは非公開。
見たかったのは円山応挙晩年の筆が見られる表書院の襖絵と、高橋由一が奉納した油画27点。
高橋由一といえば「鮭」ですが、ここには「豆腐」があります。まな板の上に置かれた豆腐と焼き豆腐と油揚げ、の絵。あるいは「なまり節」という、鰹のなまり節の絵。由一は当時まだ知られていなかった西洋油画の啓蒙喧伝のために、高尚高級ではなく、あえてこれらのごく日常的な画題を選んだと言われています。
が、それにしたって諧謔交じりなんじゃないか?という先入観はあくまで実物を目の前にするまで。
重い光。目の前にあるものの詳細をとにかく描き出そうとする粘っこい執着。
油絵具も、油絵具用の硬い毛の筆すらも容易には手に入らなかった時代に、自宅(らしい)の暗い片隅で焼き豆腐を凝視して、その焦げ目やまな板の濡れ感をなんとか描写するべく筆をさまよわせる姿を想像すると、凄みすら憶えます。
ここの27点が現存する高橋由一作品の3分の1というから、寡作の人だったのか?と調べてみたら、どうも晩年は洋画排斥運動や写真術の登場で不遇だったらしく、散失してしまったのかな。
写真と言えば、最近ふたたび掘り起こされている田本研造や小川一真は高橋由一とほぼ同時代人。一方でクールベも同時代人。写真術登場直後のこういった人々が最近気になっている。

久万は松山から車で1時間ほど、高知県と接する高原の町。
かなり山深い土地なのに、ここへコンテンポラリーな作家を招いて一年間のプロジェクトを組み、展示をさせるというその意気に率直に驚く。見応えのある展示です。
オープニングの後は山を下って松山市内にある有名なバー「露口」へ。
51年前から使われているカウンターとその奥に立ち続けているマスター、8オンスグラスで飲む濃いめの角のハイボール。角なんて最も廉価な普通の酒なのに、なぜか美味しい。
四国だし、ついでにと香川の直島と金刀比羅宮へも行くことに。
金刀比羅宮は昔から芸術の庇護者でもあるようで、なかなかの作品を所有しています。最近、真筆とはっきりした若沖の障壁画もありますがこれは非公開。
見たかったのは円山応挙晩年の筆が見られる表書院の襖絵と、高橋由一が奉納した油画27点。
高橋由一といえば「鮭」ですが、ここには「豆腐」があります。まな板の上に置かれた豆腐と焼き豆腐と油揚げ、の絵。あるいは「なまり節」という、鰹のなまり節の絵。由一は当時まだ知られていなかった西洋油画の啓蒙喧伝のために、高尚高級ではなく、あえてこれらのごく日常的な画題を選んだと言われています。
が、それにしたって諧謔交じりなんじゃないか?という先入観はあくまで実物を目の前にするまで。
重い光。目の前にあるものの詳細をとにかく描き出そうとする粘っこい執着。
油絵具も、油絵具用の硬い毛の筆すらも容易には手に入らなかった時代に、自宅(らしい)の暗い片隅で焼き豆腐を凝視して、その焦げ目やまな板の濡れ感をなんとか描写するべく筆をさまよわせる姿を想像すると、凄みすら憶えます。
ここの27点が現存する高橋由一作品の3分の1というから、寡作の人だったのか?と調べてみたら、どうも晩年は洋画排斥運動や写真術の登場で不遇だったらしく、散失してしまったのかな。
写真と言えば、最近ふたたび掘り起こされている田本研造や小川一真は高橋由一とほぼ同時代人。一方でクールベも同時代人。写真術登場直後のこういった人々が最近気になっている。


